2025年3月26日水曜日

茶碗:茶碗の部分の名称

 「茶碗の部分の名称」

お茶碗は、いろいろな形がありますが、その形を鑑賞するにあたって、ポイントとなるお茶碗の部分の名称です。
  1. 口縁・口造り:端反口、蛤口、直口、玉縁、姥口、樋口などいろいろ。
  2. 見込み:底から中ほどまでの広さ。広いほうが点てやすい。目跡(めあと。茶碗を重ねて焼くときに、茶碗の間に挟む砂粒の跡)があったりする。
  3. 茶溜まり:内側の底の真ん中のところの丸いくぼみ。「ロクロで作るとき、見込みの一番底(『底切れ』)は、粘土の乾燥時の収縮に追従できない中心部分がパックリと割れる場合があり、それを防止するために粘土に圧力をかけて締める作業を行う。通常は少し凹んだ形になる。手作り茶碗では、腰の部分を作るときに手で抱え込むので、底部分が自然に窪んだ形状になる。」という制作上の必然性からできたもの。「茶を飲んだあと、どうしても飲みきれないわずかな茶がここに溜まるので、飲み終わったあとの茶碗もきれいに見せるため必要」と言う人もいるが、それは結果論。茶溜まりが深すぎると、うまく点てられない気がするが、経験できる茶碗に出会ってないので…何とも言えない。
  4. 高台:袋高台、ベタ高台、碁笥底、円座高台、竹節高台などいろいろ。底の形状も切高台(きりこうだい)、三日月高台、四方高台、割高台(わりこうだい)などいろいろ。
  5. 兜巾:ヘラで高台を削るときにできる尖った部分。
  6. 高台内・高台際:「梅花皮(かいらぎ)」(井戸茶碗などで、高台の近くに釉薬が粒状に縮れた状態で残ったもの)や土が削れるときにできる「縮緬皺(ちりめんじわ)」などがあるのもある。
  7. 茶碗の形:碗形、井戸形、天目形、沓形、片口形、筆洗形、枡形、場盥形などいろいろ。
  8. 畳付:焼成時に釉薬がくっつかないようにするための目跡(へこんでいる)があったりする。
  9. :貫入(釉薬の表面に入る細かいひび割れ)があったり、伊羅保(肌がざらざら)だったり、釉薬が思わぬ景色を見せてくれたり、素敵な絵が描かれてあったり、窯変していたり…と観賞するポイント大。
(2025.3.25 補)

今日の軸:「喫茶去」

「喫茶去(きっさこ)」

「和敬清寂」(利休さまの説く茶道の極意)⇒「一期一会」(すべての出会いの極意)⇒「喫茶去」(おもてなしの極意)と続く、茶の湯の基本的な概念です。

「どうぞ、お茶でも召し上がってくださいな」という意味で、茶席で好まれる禅語です。

ただ、禅宗では「お茶を飲みに行け、お茶を飲んで目を覚まして来い」という叱責する言葉だそうで…
『趙州喫茶去の公案』としてなかなか意味深い解釈を求められているものです。
  ※趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)は唐代の禅僧

茶の湯初心者の私たちとしては、最終的にめざす境地として、「お茶でのおもてなしは、相手の地位や肩書にとらわれることなく、平等に接しなさい。」という心の在り方です。
亭主は『和敬』の心をもって「お茶を一服いかがですか」と言い、客のほうも変なことを言って辞退したり緊張していただいたりすることなく、『和敬』の心をもって素直に「いただきます。」とありがたくいただいて味わう…これがお茶の世界の醍醐味です。
注意!
「なんか図々しい人ね」と思われないように!!
それには…日頃が物をいいますね!!!

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【原典】『五灯会元、巻四、趙州従諗禅師』、『趙州録』、『碧巌録』
師問新到、曾到此間麼(し しんとうに とう、かつて すかんに いたるや。)
曰、曾到。(いわく、かつて いたる。)
師曰、喫茶去。(し いわく、きっさこ。)
又問僧。(また そうに とう。)
僧曰、不曾到。(そう いわく、かつて いたらず。)
師曰、喫茶去。(し いわく、きっさこ。)
後院主問曰、爲甚麼曾到也云喫茶去、不曾到也云喫茶去。のち、いんじゅ、とうて いわく、なんとしてか、かつて いたるにも また きっさこといい、かつて いたらざるにも また きっさこといいし。)
師召院主。(し、いんじゅ と めす。)
主應喏。(じゅ、おうだく す。)
師曰、喫茶去。(し いわく、きっさこ。)

※ 「到此間麼」は、物理的な意味のココではなく、精神的な意味でのココ(つまり悟りの境地)を意味していることに気づくとわかりやすい、という解説がありました。
う~~~ん!
たしかに、そう考えると『喫茶去』は院主を叱責している言葉であることも、理解できます。
禅語は、難しいですね。

今日のもう一つの言葉(?)『円相』については、いずれ!
(2025.3.25 談)




2025年3月10日月曜日

お濃茶は

  【お濃茶は】

『茶事』は、亭主が親しい人を招いて行われる茶会で、おもてなし文化の究極のものです。
茶室という特別な空間に入っていただき、炭手前をしてお湯を沸かし、お食事をしていただき、お菓子を召し上がっていただいたあと、おいしい一服の濃茶を差し上げる、その余韻を楽しんでいただくために薄茶を差し上げる、という一連の過程が進行します。(4時間くらいかかります。)その日の茶室の設え・道具の選択、懐石料理などは、この『おいしい一杯の濃茶を気持ちよく飲んでいただく』ためのものと言っても決して過言ではありません。
また、お茶事は、あくまで、正客がメインのお客であって、その日のテーマや設えは正客に向けてのもの、というのが基本です。

このお茶事というイベントの中心となる『お濃茶』ですが、市井のカフェ・喫茶店や公園や神社仏閣でのお呈茶(お茶をさしあげること)では、まず経験することができません。
それでも、都内では浅草などに数は少ないですが、濃茶が飲める茶房やカフェがあるらしいので、もし、見つけたら、入ってみるといいでしょう。そこでは、面倒な作法とかはなしに、お濃茶を楽しむことができるはずです。

濃茶を出すカフェが圧倒的に少ないのは、おいしく濃茶を練る(薄茶は点てるという)のに、結構な技術が必要なのが原因かと思います。使うお抹茶も違います。薄茶は一人前2g(茶杓1杓半)ですが、濃茶は一人分として4g(茶杓3杓)が基準です。使う茶筅も本来は違うのですが、最近はそこまで明確に分けて使う…機会(?)は少ないです?!

お菓子も違います。濃茶のほうは主菓子といいます。練り切り、こなし、饅頭というような種類のお菓子を”縁高(ふちだか)”という重ねられる箱に、一人前として一段に一種1個ずつを入れるのが本来の形です。「こんな大きな箱にお菓子ひとつとは、いくらなんてもおかしいんじゃないか」と思いたくなりますが、上のほうのお点前になると、お菓子は一人前として種類の違う物が3つとか5つとか出ます。そのためにはちょうどいい器の大きさなのでしょう。大寄せのお茶会などで、一人ひとつの場合、一段に同じお菓子を複数並べることもあります。いずれにしても、お作法がありますので、そのうち、しっかり体得しましょう。

一番大事なこと
お濃茶をいただくとき、心得ておかないといけない一番大事なことは、一盌のお濃茶を客全員(高々5人まで)で少しずつ飲むことです。「おもあい(思相)でいただく」と言います。よく「濃茶は三口で飲む」と言われますが、そんな感じです。そのための作法もあり、これもそのうち、しっかり体得しましょう。
もし、体得しないうちに、大寄せのお茶会に行って、濃茶がでてしまったら…お隣の方のやりようを、しっかり真似をして、失礼にならないようにしてください。それも難しかったら「はじめてなので教えてください。」と素直に聞きましょう。お茶人は気配りできる人たちですから、教えてくださるはずです。

2025.3.7 談・補

2025年3月8日土曜日

今日の軸:「歳月不待人」

 「歳月不待人(さいげつ ひとを またず)」

12月や、年度の切れ目に床にかけられることが多い字句です。
学生でなくとも、師走ともなれば、あ~あ、今年ももう終わっちゃったなあ、という感慨とともにつぶやきたくなります。

一般的には、「歳月は待ってくれない。若いうちに勉学を励もう」「年月は人間の営みに関係なく、刻刻と過ぎてしまい、待ってはくれない。だから頑張ろう」「限られた時間を大切にしよう」というような、どちらかというと叱咤激励するような意味で使われます。

この字句を見て、同様な意味で「少年老い易く、学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」という字句を思い浮かべてしまう人も多いことと思います。

ただ、本歌『陶淵明:雜詩其一』にある意味はちょっと違っているようで…
ちゃんと調べてみると…あれれれれ?
マ、イイジャナイデスカ!これもまたこれで楽しいですネ。一理ありますから!

【参考】
陶淵明:「雜詩 其一」 
 人生無根蔕 じんせいは こんていなく
 飄如陌上塵 ひょうとして はくじょうの ちりのごとし
 分散逐風轉 ぶんさんし かぜをおって てんじ
 此已非常身 これ すでに つねのみに あらず
 落地為兄弟 ちにおちて けいていと なる
 何必骨肉親 なんぞ かならずしも こつにくの しんのみ ならん
 得歓當作楽 かんをえては まさに たのしみを なすべし
 斗酒聚比鄰 としゅ ひりんを あつむ
 盛年不重来 せいねん かさねて きたらず
 一日難再晨 いちじつ ふたたび あした なりがたし
 及時當勉励 ときにおよんで まさに べんれいすべし
 歳月不待人 さいげつは ひとを またず

朱熹(朱子):「偶成」(近年は、作者は別人との説あり)
 少年易老學難成 しょうねん おいやすく がく なりがたし
 一寸光陰不可輕 いっすんのこういん かろんずべからず
 未覺池塘春草夢 いまださめず ちとうしゅんそうのゆめ
 階前梧葉已秋聲 ごよう すでに しゅうせい
(2025.3.7 談・補)



今日の軸:「星河清涼風」