「歳月不待人(さいげつ ひとを またず)」
12月や、年度の切れ目に床にかけられることが多い字句です。
学生でなくとも、師走ともなれば、あ~あ、今年ももう終わっちゃったなあ、という感慨とともにつぶやきたくなります。
一般的には、「歳月は待ってくれない。若いうちに勉学を励もう」「年月は人間の営みに関係なく、刻刻と過ぎてしまい、待ってはくれない。だから頑張ろう」「限られた時間を大切にしよう」というような、どちらかというと叱咤激励するような意味で使われます。
この字句を見て、同様な意味で「少年老い易く、学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」という字句を思い浮かべてしまう人も多いことと思います。
ただ、本歌『陶淵明:雜詩其一』にある意味はちょっと違っているようで…
ちゃんと調べてみると…あれれれれ?
マ、イイジャナイデスカ!これもまたこれで楽しいですネ。一理ありますから!
【参考】
陶淵明:「雜詩 其一」
人生無根蔕 じんせいは こんていなく
飄如陌上塵 ひょうとして はくじょうの ちりのごとし
分散逐風轉 ぶんさんし かぜをおって てんじ
此已非常身 これ すでに つねのみに あらず
落地為兄弟 ちにおちて けいていと なる
何必骨肉親 なんぞ かならずしも こつにくの しんのみ ならん
得歓當作楽 かんをえては まさに たのしみを なすべし
斗酒聚比鄰 としゅ ひりんを あつむ
盛年不重来 せいねん かさねて きたらず
一日難再晨 いちじつ ふたたび あした なりがたし
及時當勉励 ときにおよんで まさに べんれいすべし
歳月不待人 さいげつは ひとを またず
陶淵明:「雜詩 其一」
人生無根蔕 じんせいは こんていなく
飄如陌上塵 ひょうとして はくじょうの ちりのごとし
分散逐風轉 ぶんさんし かぜをおって てんじ
此已非常身 これ すでに つねのみに あらず
落地為兄弟 ちにおちて けいていと なる
何必骨肉親 なんぞ かならずしも こつにくの しんのみ ならん
得歓當作楽 かんをえては まさに たのしみを なすべし
斗酒聚比鄰 としゅ ひりんを あつむ
盛年不重来 せいねん かさねて きたらず
一日難再晨 いちじつ ふたたび あした なりがたし
及時當勉励 ときにおよんで まさに べんれいすべし
歳月不待人 さいげつは ひとを またず
朱熹(朱子):「偶成」(近年は、作者は別人との説あり)
少年易老學難成 しょうねん おいやすく がく なりがたし
一寸光陰不可輕 いっすんのこういん かろんずべからず
未覺池塘春草夢 いまださめず ちとうしゅんそうのゆめ
階前梧葉已秋聲 ごよう すでに しゅうせい
(2025.3.7 談・補)
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