2026年3月5日木曜日

茶事とは

 「茶の湯、茶会、茶事、茶道(裏千家ではチャドウと言います)…」

似て見えるこれらの言葉のうち、今回は『茶事』の話です。

現代で言う『茶事』は、亭主が親しい知人を招いて行う少人数で私的な集まりです。簡単なお食事(懐石料理)がつき、湯を沸かす炭を整え、濃茶をふるまい、薄茶をふるまう、というのがフルコースで、4時間くらいかかります。

お茶を習う究極の目的は、茶事ができる亭主になることと、お茶事にお呼ばれした時に立派な正客ができるようになること、です。

割稽古からはじまり、盆略点前でお点前の基本の流れを知り、お薄のお点前を覚え、お濃茶のお点前を覚え、炭のつぎ方(炭手前)を覚え、お道具の価値を覚え、格と扱いを知り、茶の湯の根底にある気配りを覚え…と、ゆっくりと時間をかけて(時間がかかって?)、茶の湯の修行をして、やっと初めて茶事の亭主ができたときの感動は、得難いものです。

どなたを(正客に)お呼びするか、今日の茶会のテーマは何にしようか(正客に少しでも関係のあることが喜ばれます)、どんな道具を取り合わせておもてなししようか、と考え、おいしい一服のお茶(濃茶)を心を込めて点てる…その一連の行動で、亭主の精神構造も、技の面もすべてが露出してしまう、という恐ろしさもありますが、『明珠在掌』、『私は私』!

【正午の茶事の主な流れ(炉の時期の基本形)】
寄付・席入り(初入り): 待合室で身支度を整え、露地を通り、蹲で手と口を清め、茶室に入って床の間の掛け軸や道具を鑑賞する。
炭手前(初炭): 亭主が炉に炭を入れ、お湯を沸かす準備をする。
懐石(茶懐石): 基本は一汁三菜の料理(追加の料理があることも)とお酒を楽しむ。
       最後に主菓子を戴く。
中立(なかだち): 一度庭へ出て外腰掛で休憩する。
後入り:再度、茶室に入り、茶花などを鑑賞する。
濃茶(こいちゃ): 茶事での最も重要な場面。亭主の練って点てた濃茶をいただく。
炭手前(後炭):炭をついで、再度お湯を沸かす。
薄茶(うすちゃ): 最後に気軽な薄茶を干菓子とともにいただく。
茶事を締めくくる。

お茶事の一連の動きには、規矩(キクと読みます。決まりのこと)や作法があり、これを知らないとお互いの不幸、と言えます。たとえ、流派が違っても、基本は変わりません。それは、茶の伝来時から、紹鴎、珠光、利休と延々と受け継がれた茶の湯で共通のものとして出来上がってきたものですから。

先日『正午の茶事』のDVDを見たとき、懐石のところで「酒盛りしている」と大喜びしていましたが、本来の茶事の目的は、『交渉事』。

江戸時代初期くらいまでは、現代の料亭にあたる場などはない時代です。殿様たちや豪商たちがいろいろな交渉をしようと思ったら、自宅に招いて接待する場を設ける以外ありませんでした。そのときに、酒盛りで盛り上がり、酔いつぶれて/酔い潰してしまったら???
この辺の匙加減も、亭主の裁量と言えるでしょう。
また、接待する側や接待を受ける側が、懐石の最中に、余興として、謡や舞を披露したり、連歌で楽しむ、というようなこともあったようで、そういう教養も必要とされていた時代でした。(日本文化の多様性・懐の深さよ!!! よかった、現代で?)

現代は、「自宅に招いて交渉事」などは、まず、しません/できません。しかし、そんな堅苦しくなく、親しい友人を招いて、茶事を楽しむ、という文化は、継承していきたいものです。

(2026.3.5 記)

今日の軸:「明珠在掌(みょうしゅたなごころにあり)」

  今日の軸:「明珠在掌(みょうしゅ たなごころにあり)」

『明珠』とは、本来は、曇りのない美しい珠、真珠の類を指します。転じて、真の宝や非常に優れた人物のことも表します。
『掌』は「たなごころ」と読み、手のひらのことです。

禅語的には、かけがえのない宝(明珠)は遠くにあるのではなく、すでに自分の手の中(掌中)にある。かけがえのない宝=幸せ・喜び、は自分の中にある、という意味になります。
たとえ今の自分をダメだと思っていても、自分の奥には常に輝く可能性が眠っているという、希望の教えです。自分自身の命の尊さを知り、自分を愛すること。仏教では、この内なる仏性を引き出す修行を大切にするそうです。

「自分には特別何も無いと落ち込む必要はありません。どなたもこの自己の中に光輝く存在、宝を持っているのです。」は、大本山東福寺塔頭 霊源院塔頭の和尚様のお言葉です。

人生の選択の大きな節目に直面しているみんなには、忘れないでいてほしい四字熟語です。

(2026.2.28 談、補)


2025年12月23日火曜日

今日の軸:「忙中閑」

 今日の軸:「忙中閑(ぼうちゅうかん)」賛

年末になり、なんとなく気ぜわしくなってきました。
なぜ、年末がそんな気になるのでしょうか。
「別に新年に客がくるわけでもないから掃除なんていらないし、おせちなんて出来合いを買ってくればいいじゃないか」と思うかどうか、は個人の自由ではあるのですが、やはり、日本人として生まれ、日本という国に育ち、(たぶん)日本人的思考が身についている私たちは、先人たちが新年をどういう気持ちで迎えていたか、を知っておくのもいいのではないか、と思います。
「人は何故、新年を祝うのか」と言うような疑問を生成AIに聞いてみてください。伝統的なことのほかに、新年に対する日本と外国の考え方の違いなども知っておくといいでしょう。

さて、本題です。

「忙中閑」は日常的には「忙中閑あり」と言います。
「閑」はヒマではなく、「心が静かな、おだやかなこと」で「実際の時間」を意味します。
「忙しい最中にも、わずかながら心のゆとりある静かな時間がある」という意味で、「忙しいときにこそ、わずかでも心のゆとりや静かな時間を持つべき」というようにも変化します。

『賛』とは:
『讃』とも書きます。『賛』は、言葉・詞(ことば)を添えて助けることですが、絵+詞の形式のものを言います。
唐時代からの呼び方で、のちには、「題」とか「祓(はらえ)」とか呼ばれるようになったと言います。この表現方法は、中国での山水画のジャンルの一つの詩画一致の思想に基づき描かれたものからきていて、日本では奈良時代頃から使われてきました。後世、漢詩が和歌になってもOKになっていきます。
茶会では、本席に掛けられるよりも、待合(茶会に参加するときに、初めの通される部屋)などに掛けられる色紙で見られることが多く、カジュアルな感じですが、お正月などには本席で富士山の日の出とか宝船の絵に詞が添えられているものも掛けられたりします。

(2025.12.23 補)



2025年12月21日日曜日

茶の湯歳時記:12月「事始」

 12月「事始(ことはじめ)」

何かと気ぜわしい年の瀬です。
そんな中で、茶の湯を楽しむ心のゆとりが欲しいものですが、なかなかそうはいきません。
なおかつ、東京という経済の中心にいて、世間の新しい流れに乗り遅れずに泳いでいくには、日本の良き伝統を保ちつつ、という観点をどうしても、後に回しがちです。

今回は、東京地方よりも伝統をずっと継承している京阪地方での行事を紹介します。茶の湯では、伝統の行事にあわせた趣向を好み、それが『茶の湯歳時記』となっているものも多々あるからです。

【事始(ことはじめ)】
12月13日を事始めとして、正月の準備に取りかかります。また、商家や花柳界では、出入りの人々が改まって主家に鏡餅を持参し、一年間の恩恵に感謝を表します。また、芸能方面では、弟子や社中は、師匠の家に出向き、お世話になったことへの感謝と新年の挨拶をかわします。贈られた鏡餅は、床の間の雛壇に飾って祝い、三種肴で一献を酌む…
ニュースなどでも時々とりあげられる京都地方の行事です。
ちなみに、12月12日を「事納(ことおさめ)」といいます。つまり、事始以降は一年が始まっているということになります。
事始が12月13日になったのは、陰陽学からこの数を陽の極とするから、だそうです。

【除夜釜】
大晦日に「釜をかける(茶会を催すこと)」のは、茶人の極みです。時間としては、夕食後から日付の変わる前後まで。一年の水の恩を送るため、と言われています。最後に炉に残った火を埋火(うずみび)として、丁寧に灰をかけ、助炭をかけて、元旦の下火にします。火を絶やさず、つぎの年に火を繋ぐ大切な行事でもあるのですが…

知識として、知っておくのが精一杯ですね。

(2025.12.21 記)




今日の軸:「無事」

 「無事(ぶじ)」

12月になり、歳の終わりが近づいてきました。
今年を振り返り、来年への繋がりを考える…古人からの慣習と言えます。

12月によく使われる禅語として「無事」があります。
「無事」は普通の辞書を引くと「取り立てて言うほどの変わったことがないこと。ひまなこと。何もしないこと。」などとあります。「何もないことは佳いこと」と日常では肯定的に使っています。

茶席にこの言葉が掛けてあったら、「一年間無事で過ごせたことを寿ぎましょう。」ということと思ってOKですが…

ここでは、禅的解釈を少しだけ解説してみます。まだまだ修行中の身では、とても「無事」の境地にはたどり着けませんが。

「無事」は「むじ」とも読みます。むじ、のほうが禅語っぽい読み方と思ってしまいますが、どちらでもいいようです。

仏教で「無事」は、「煩悩やこだわりがなく、本来の仏としての自分に目覚め、心が穏やかで安定した状態」「何かが起こっても、普段と変わりのないように過ごせる境地」を意味します。

人生、良いことが起こっても、悪いことが起こっても、一喜一憂せずに平然と生きていける境地が「無事」ということです。
俗っぽく言えば、他人は自分のことをどう思っているか、とか、あいつには負けたくない、自分のほうが優れている、とか、今の生活でいいのだろうか、自分にはもっと向いている道があるんじゃないか、とか考えずに、自分の内面を見つめ、自分を信じる境地に到達できてこそ「無事」である、ということでしょう。

相変わらず、禅語は難しいですね。

(2025.12.21 補)

2025年12月20日土曜日

茶の湯歳時記:11月「炉開き」

11月「炉開き(開炉)」

11月は、よく『茶の湯のお正月』とも言われ、茶の湯の世界では、冬の季節が始まります。
炉が開かれ、露地には、青々とした敷松葉が敷き詰められ、垣根も青竹となり、席中では畳替えが行われ、障子も張り替えられ、真新しい雰囲気に、心楽しい月と言えます。


【開炉】
11月の朔日や立冬、あるいは、古風な茶人は、旧の十月の中の亥の日に、炉を開け、お祝いいたします。
利休居士は「柚の色づくを見て囲炉裏に」とおっしゃったと言われており、別に日が決まっているわけではありません。
開炉のときには、道具として『三部(さんべ)」を用いると言われています。三部とは、織部(おりべ)、伊部(いんべ)、瓢(ふくべ)のことで、織部焼の香合、伊部(備前焼)の水指、瓢(ひょうたん)の炭斗、というような道具を取り合わせてお茶事をすることが多いです。


【主菓子】
 
亥の子餅(いのこもち)や、裏千家では「善哉(ぜんざい)」など、体を温める縁起の良いお菓子が出されます。
むかし、亥の子の祝といって陰暦十月上(かみ)の亥の日の亥の刻に、餅を食べると万病を除く、とか、猪の多産にあやかって子孫繁栄を願う、という行事があり、それにあやかったのが亥の子餅です。


【茶花】
炉の季節の花は、椿が代表的です。椿の種類は百数十種もあるということです。外国でも好まれて、品種改良が進み、大きな花のものも出ていますが、茶花には、古来よりの小さめの花が好まれます。特に、裏千家では、白色のものが好まれています。
11月は他にもいろいろな茶趣がありますが、いずれまた。

(2025.12.20 記)





2025年10月16日木曜日

はじめてのデモンストレーション④:お茶の飲み方

 

『外国人にお茶のデモンストレーションをする』~お茶の飲み方~


折角ですので、薄茶の飲み方を体験していただきましょう。

前提として
 ・茶の湯として飲むお茶には、二種類あり、これから飲んでいただくのは薄茶である。
 ・飲み方は、各お茶の流派で微妙に違うが、今回は、私たち裏千家流の飲み方である。
の2点は説明しましょう。

「飲むときは、三口半で」と言われますが、これは何口でもいいので、自由に飲んでいただきましょう。どうしても飲めない人もいますので、「苦手なら残して構いません」と気遣うことも忘れずに。(外国人に対してだけではありません。)「三口半」は決まりではありません。
また、「飲み終えたことを亭主に知らせるため、最後の一口は、ズズッーと音を立ててすすること」とかも言われますが、これもどうしてもしなければならない決まりではありません。
最後の一口まで戴くために、ススッというくらいの音を出しても仕方ない、くらいに考えてください。感性の問題ですが、静かな雰囲気の中で、ズズッーという爆音が響くのは、そぐわない、と思う人もたくさんいます。

飲む作法の中にも『和敬清寂』の『和』と『敬』の感性が備わっていることを説明出来るタイミングがあったら、してください。

茶碗の拝見時には、どんな道具も、亭主が心をこめて用意したものであるから、丁寧に扱うこと、特に手を滑らせて落としても大事にいたらないように、高々と掲げてみるようなことをしないこと。こういう扱い方も、『和敬清寂』の『和』の心、『敬』(道具に対して、また、亭主に対して)の心の現れであることも、言えるといいですが。

追加情報としては、
 ・薄茶はカジュアルな点て方で、浅草などの町中の抹茶カフェで、よく提供されるもの。
 ・もう一つは濃茶で、これを提供するカフェは極端に少ないこと。
 ・薄茶と濃茶の違いは、まず味が違う(一般には、薄茶のほうが苦い)、茶葉(ちゃば)を摘み取る時期が違う、作り方が違う、一人前の抹茶の量が違う、点て方も違う。
 ・濃茶は練って点てるが、薄茶のほうは泡立てる。
というようなことがありますが、聞かれたら答えるくらいでいいでしょう。
(2025.10.16 記)




茶事とは