2025年5月6日火曜日

今日の軸:「春色無高下」

「春色無高下(しゅんしょくこうげなし)」

春はすべてのものに平等に降り注いでいる、という情景を詠んでいます。
(「だから何?」とつっこみたくなりますね!)

原典は、『圜悟語録』。実は、この句には、対句があります。

 春色高下無し(しゅんしょくこうげなし)
 華枝自短長(かし おのずから たんちょう)

対句とともに、この字句は何を言いたいのか、禅的な解釈を紹介します。

前半は、「春の日差しが山や川、花々や木々、すべての動物(お金持ちにも貧乏な人にも、偉い人にも偉くない人にも)、すべてのものに平等に降り注いでいる。」という 万物平等 を説いています。
後半は、「春の日差しが、平等に降り注いていても、花の枝は、短いものも長いものもあって差があり、自然と長短が出来てきて、個性が存在する。」という現実を説いています。
(仏教的には、「差別が存在する」という表現をします。しかし、『差別』という言葉は、現代の辞書や条例で、「差別とは、特定の集団に所属する個人や、性別など特定の属性を有する個人・集団に対して、その所属や属性を理由に異なる扱いをする行為である」というような定義をされていて、マイナスイメージの言葉と捉えられるので注意が必要です。仏教でいう『差別』は『違いがある』ことだけを言っていると言葉と解釈してください。)

仏教の説く『平等即差別、差別即平等』の根本思想を具現化している言葉です。つまりは、『万物はみな平等だが、その中では違いも個性も存在する。それもそれで大事。両方の概念を認めてバランスを取った考え方をしよう』ということになります。

ネット上には、この字句についての解釈が散見されます。解釈の微妙な違いもあり、比べて読んでいると、訳が分からなくなってきたりしますが、修行中の一般人の私たちとしては、『華枝自短長』という心で対応していきまょう。

【参考サイト】
(2025.4.26 談)


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