「葉々起清風(ようようせいふうをおこす)」
5月から7月に掛けられることが多い言葉です。
木々の葉が揺れて、さわやかな風を起こしている…というような、水彩画で書いてみたいような初夏の自然の風景を思い起こさせます。
・・・と、ここまでは、この字句だけからみる凡人の感想ですが。
実は、原典には、「為君葉々起清風」と「為君」が頭についています。この「為君」がつくと、「あれっ?単なる風景描写ではない?」と分かってくるのですが。
南宋時代の禅僧・虚堂智愚禅師(1185-1269)の遺した語録『虚堂緑』が出典です。
誰知三隱寂寥中 誰(たれ)か知る 三隠(さんいん)寂寥(せきりょう)の中(うち)
因話尋盟別鷲峯 話に因(より)て 盟(めい)を尋(つい)で 鷲峰(しゅうほう)に 別れんとするを
相送當門有脩竹 相(あい) 送りて 門に 当たれば 修竹 有(あ)り
爲君葉葉起清風 君が為に 葉葉(ようよう) 清風を 起こす
虚堂智愚禅師は、南宋時代の有名な禅僧です。(門下の大応国師は日本の臨済禅の礎です。)
その禅師のもとに三人の禅僧(衍・行鞏 ・如珙)がやってきました。三人は中国浙江省の天台山国清寺に旅立とうとして、虚堂禅師のいる鷲峯庵を訪ねてきたのです。国清寺は、伝説の禅僧、寒山・拾得(絵画にもよく描かれていて、東京博物館所蔵の『寒山拾得図軸』は重要文化財)と師の豊干和尚の三聖のいたところです。そこに修行に向かう三人の清らかな志に深く共鳴している虚堂禅師が門まで送りに来ると、一陣の風が吹き、そばの竹の葉が、さやさやと揺れました。揺れている竹の葉が、友人たちを送っているかのよう…
その禅師のもとに三人の禅僧(衍・行鞏 ・如珙)がやってきました。三人は中国浙江省の天台山国清寺に旅立とうとして、虚堂禅師のいる鷲峯庵を訪ねてきたのです。国清寺は、伝説の禅僧、寒山・拾得(絵画にもよく描かれていて、東京博物館所蔵の『寒山拾得図軸』は重要文化財)と師の豊干和尚の三聖のいたところです。そこに修行に向かう三人の清らかな志に深く共鳴している虚堂禅師が門まで送りに来ると、一陣の風が吹き、そばの竹の葉が、さやさやと揺れました。揺れている竹の葉が、友人たちを送っているかのよう…
この詩は『送僧頌』として知られています。
「頌」「偈頌(げじゅ)」は、禅宗では、仏の功徳や教え、悟りの境地などを賛美する詩や歌のことで、経典の中や、禅僧などが詠んだ詩を指します。
ということから考えると、この頌は何を言わんとしているのでしょうか。
旅もままならない時代、もう会えないかもしれないという想いもあるが、清らかな志をもって、修行に向かう同志、シンクロする想い…
一陣の風、我が心に同調するように揺れる笹の葉…
言葉にできないせつない気持ちを代弁してくれているような…
もともと、禅語は以心伝心の世界。
修行もできてない凡人でも、その人なりに何かを感じることが大事です。
(2025.5.27 補)
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