2025年6月25日水曜日

今日の軸:「一以貫之」

 

「一以貫之(いちいかんし/いちをもってこれをつらぬく)」

小さい子が一生懸命引っ張ってるのに、少しも動こうとしない黒牛の絵とともに、この言葉が書かれています。これをみると、なんとなく意味がわかった気になりますね。

このように、絵が添えられているものを「賛(さん)/画賛」と言います。「賛」は「褒めたたえる」とか「助ける」という意味です。

原典は『論語』里仁(リジン)篇 (「里人」と書いてあるのもある)

子曰、参乎、吾道一以貫之。
曾子曰、唯。
子出。
門人問曰、何謂也。
曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣。

[読み下し文]
のたまわく、しんや、みちいつもっこれつらぬく。
曽子そうしわく、
ず。
門人もんじんうてわく、なんいいぞや。
曽子そうしわく、夫子ふうしみちは、忠恕ちゅうじょのみ。

[意味]
孔子が言った、「参よ。私の人生は一つの使命で貫かれているのだ」と。
「はい、理解しております」と曽子(参のこと)は答えた。
孔子はその場を出て行った。
一緒にいたほかの門人が、「今の話はどういう意味ですか?」と聞いた。
曽子は、「先生の人生は忠恕の道で貫かれているのです」と答えた。

「忠」は真心(自分の良心に忠実であること)、「恕」は他人に対する思いやりを意味します。儒教では、この「忠恕」の精神が、「仁(最高の徳)」の根本であり、孔子の教えの中心的概念です。

禅僧が「自分は、自らの信じるところによって進んできた」ことを表明するときによく用いられるそうです。

私たち凡人には、忠=自分の良心に忠実であること、はそんなに難しいことではありませんが、恕=他人に対する思いやり、はなかなか難しいです。
「思いやりって本当は何?」と思ったこと、ありませんか?
公平であること?寛容であること?同情すること?心をシンクロすること?助けること?
新一万円札の渋沢栄一の著書「論語と算盤」の中には、「忠恕」の精神を重視し、実践したとあるそうです。

「自」(自分)に対しては、ぶれない心で、目的に向かって努力を続け、信念を貫き、「他」(外)に対しては、誠実さや思いやりを大切にすること…頑固とやさしさを合わせ持て、そんなことを言っている言葉ですね。
(2025.6.24 補)

「茶の湯」と「茶道」どう違う?

 「茶の湯」と「茶道」どう違う?

各種の生成AIにこの質問をすると、大体同じ答えが返ってきます。日本人の共通理解とみていいでしょう。
・茶の湯とは…抹茶を点てて楽しむこと、お茶会、おもてなしの行為。
       視点としては、文化的で、やや古風。
・茶道とは…(裏千家では『ちゃどう』と読みます。)
      お茶を点てる行為を通して、精神性を修養。
      礼儀作法を身につける『道』であって、体系化されたもの。哲学的。

茶の湯とは、ただ湯を沸かし茶を点てて飲むばかりなる事と知るべし
この言葉は、利休居士の言葉として伝えられていて、『利休道歌(利休百首)』の中におさめられています。
入門したての頃は、これを言われても、「それ以外に何があるのか」と思ってしまいます。
しかし、何年かお茶(茶の湯?茶道?)を続け、点前の所作や精神的修練を先生から教えていただくにつれ、本質が分からなくなってきます。そのとき、この言葉を聞くと、また違った感慨を持ちます。

さて、日本には『道』のつく文化体系が、いろいろあります。
剣道、柔道、弓道、合気道、空手道などの武道系のもの、茶道、華道、書道、香道などの文科系のもの、日本人以外でも注目されている武士道(何系というのでしょうか…)。
これらは主に、明治時代以降に体系化されたようです。

では、茶道という言葉はいつごろから、でてきたのでしょうか。
室町時代には、『茶の湯』の言葉が使われました。
15世紀以降、村田珠光、武野紹鴎、千利休という系統では茶の湯の精神性が深められ、わび茶が確立されました。その後、江戸時代初期に『道(どう)』の部分が重要視され始め、精神性を深めていき、概念として定着したのは、江戸時代中期以降というのが定説です。

千利休自身は、茶の湯を「数寄道(すきどう)」と呼び、古田織部は「茶湯」と呼び、小堀遠州が「茶の道」と「道」の字を使い始め、それが「茶道」という言葉につながっていったとも言われています。

「数寄」とは、本来「好き」のことです。
「歌」が文化の中心を占めていた平安時代には「数寄」は「歌道」を表していたのが、歌道が廃れるにつれ、「茶の数寄」を表すようになっていったという背景から、利休が茶事に使う座敷を数寄屋と名付け、数寄道に繋がっていったのかもしれません。

近代においては、数寄者(すきしゃ)は、茶の湯を趣味とする人を指します。
特に「名物(茶道具として特別な物)」に関心を寄せた人がたくさん出現します。財閥出身者や個人資産家が、日本国外に流出した美術品など買い取り、大規模な茶会を開催したりしました。現在、価値ある茶道具を所蔵する美術館がたくさんありますが、その貴重な品々を収集した人たち、益田鈍翁、原三渓、松永耳庵、根津青山(嘉一郎)、小林逸翁(一三)、高橋箒庵、畠山即翁(一清)、五島慶太、細川護立、大原孫三郎、川喜田半泥子、松下幸之助という方たちがいたからこそ、現代の我々は、古い時代からの貴重な茶道具を鑑賞できるのです。
(2025.6.25 閑話休題)


2025年6月11日水曜日

今日の軸:「千年翠」

今日の軸:「千年翠(せんねんのみどり)」

この場合の翠は、松の木をあらわし、長寿をお祝いする席などで使われる言葉です。

が!

禅語では、『松樹千年翠 不入時人意』と続いています。
この対句の部分は『ときのひとにいらず』と読み、『ときのひと』つまり『世の中で注目される人』には入らない⇒世の中で目立たない人⇒注目されていない、となります。

で、どうなるか、と言うと…

松の木は、千年(長い時間のこと)の時を経ても、変わらず緑を保っているが、人々はその背景にある目立たない地道な努力があることを、見逃してはならない、という意味です。

『松柏千年靑』も同じ意味です。こちらのほうが先らしい(?)。

もともとは、南宋時代の禅僧・石田法薫(1171~1245)の法語であり、禅語集『続伝灯録』には

松柏千年靑  松柏(しょうはく) 千年(せんねん)の 青(あお) 
不入時人意  時人(じじん)の 意(い)に 入(い)らず
牡丹一日紅  牡丹(ぼたん) 一日(いちじつ)の 紅(くれない)
滿城公子醉  満城(まんじょう)の 公子(こうし) 酔(よ)

とあります。後半の『牡丹云々』は、『牡丹のような一日しか咲かない紅の(華美な)花には、城の中の貴人の誰もが心奪われる』となりますが…

だから、何を言いたいのかな?

禅語の意味するところは、難しいの一言につきます。私たちは禅の修行をしていませんから、悟りを開いた禅のお坊さまたちの解釈を聞くに限ります。

今回の『松樹千年翠』で感じ入った解説は、
「この禅語は、千年の寿を寿ぐだけの言葉ではありません。時の長さではないのです。どのような時にも驕らず、屈せず、ただひたすら自分の道を行く、変わらぬ道心を讃える言葉です。・・・どんなことであっても、大切なのは、次の一歩。この次の一歩を全身全霊で続けることが、千年の寿に相応しいことだ、千年の寿に負けない大切な修行の魂なのだ、ということを言っているのです。」
というお坊様の言葉でした。

参考:
https://note.com/myoukishuken/n/n3454ae06c3c7

(2025.6.10 補)


2025年6月10日火曜日

花入:籠いろいろ

 花入(はないれ):籠いろいろ

華道のほうでは、花器(かき)とか花瓶ということが多いですが、お茶では『花入れ』の言葉をよく使います。

前にも書きましたが、3つの格があります。主に材質で分けられます。
金物や唐物青磁は『真』、釉薬のかかった陶磁器は『行』、 釉薬のかかっていない陶磁器や竹・籠などは『草』の格になります。ただし、竹で編んだ籠でも、唐物(中世の中国からの到来物)は『真』になります。

利休さまが花の入れ方として、
「花は野にあるやうに」
「小座敷の花は、かならず一色を一枝か二枝、かろくいけたるがよし。勿論、花によりてふわふわといけたるもよけれど、本意は景気をのみ好む心いや也。四畳半にも成りては、花により二色もゆるすべしとぞ。」
という言葉を遺されていらっしゃるので、四畳半以下の小間では「一種二枝」で究極の自然体をめざすことになります。

しかし、『草』の花入れの籠は、数種(奇数がいい)の草花をいれて使うこともあり、5月から10月の季節に使われます。

また、歴代のお家元のお好み物も数々あって、楽しいものがたくさんあります。
・宗全籠…久田宗全(江戸前期の茶人。晩年は三千家の長老格)の好みの置き籠。
     いろいろな好み(デザインが微妙に違う)のものがある。
・繭籠…淡々斎好。掛花入と置き花入がある。
・鮎籠…京都の桂川の鮎漁に用いたといわれる。掛花入
・鶴首籠…玄々斎好、鵬雲斎好など。置き籠
・蝉籠…久田宗全好。床柱に掛けた姿が蝉が木に止まっているように見えるから。
・有馬籠…豊臣秀吉が有馬温泉で茶会を開いたときに、千利休が魅せられ愛用し始めた。
・鉈の鞘籠/鉈籠…利休所持。薮内家伝来が有名。鉈の鞘(さや)の形。掛け花入
・清澄(せいすみ)籠…置花入
・末広籠…玄々斎好。切箔押黒塗の受け筒が添っていて、この筒だけでも花入になり、
     梶の葉を蓋代わりにして水指に用いる。
・三友籠…淡々斎好。『雪月花』の友=自然の美しさを愛でる、という茶道の心を表す。
・魚籠(びく)…利休所持。千利休が魚籠を花入に見立てた、あるいは、
     唐物籠を写し、小さな耳をつけたのではないかともいわれるす。
・桂籠/桂川籠…利休が京都の桂川で出会った漁夫の魚籠(びく)を花入にした。
     利休⇒小庵⇒宗旦⇒山田宗徧 のものが有名。
・宝山籠…置き花入
・瓢(ひさご )籠…置き花入、掛け花入
・粽(ちまき)籠…置き花入、掛け花入
・楓籠…利休好、即中斎好、禄々好
・方円籠…則中斎好。置き籠
・鵜籠…鵜飼漁で鵜を収めるために使われる籠を見立て。置き花入。
・網代籠…置き花入
・虫籠…千宗旦が見立て。鈴虫を入れて口栓をし鳴声を楽しむための小形の虫取籠。
     立鼓籠
・加茂川籠…又玅斎好、掛け花入
・立鼓籠…一燈好。鼓(つづみ)の形。置き花入

参考:
(2025.5.27 補)

2025年6月9日月曜日

「正座」を修行する

 

 「『正座』を修行する~「正座ができない」若い人たちへ」

せっかく、茶の湯に興味を持っているのに、正座ができないばっかりに、見ているしかない…というのは、もったいないので、正座に挑戦いたしましょう。

歳を取ってきても、正座がだんだんできなくなるのは、世の常…ですが、「100歳になっても筋肉はつく」のも事実なので、若ければ、もっとなんとかなるのではないか、と目標を定め、「お茶をやりたい」という強い思いを持ち続けることが大事です。(実体験から確信しています!)

【茶道での座り方(正座)】
① 膝と膝の間に、男性は握りこぶし2つ/女性は1つの空間を取る。
② できたら、足の親指どうしが重なるようにつける。
③ 踵(かかと)と踵の間にお尻を入れる。
(踵の上にすべての体重をかけると、正座は長続きせず、しびれる。)

イメージとしてはこんな感じです。
【訓練の仕方】
上のような体勢が取れたら、お尻をゆらし、右足と左足に交互に体重をかける。
(はじめは1分もできなくても、毎日少しずつ1か月くらいは続けてみましょう。)

【しびれたら】
・いつもは、左足と右足の親指を重ねるくらいだが、それを脛(すね)の中心あたりまで、交差させ、体重をかけてみる。
・しばらく、跪坐(きざ)でしびれが取れるまで、待つ。
 跪坐:両膝を床につけたまま、足の爪先を立て(畳につけて折り曲げる)、踵(かかと)を揃え、踵の上に腰をおろして、しばらく体重をかける。

【世の中で正座ができない人に勧めている方法】
YouTubeには、「正座ができるようになる」方法がたくさん紹介されています。その中で、自分に合ったものが見つかればいいのですが、ほとんどの紹介者は、正座ができている人なので、紹介されている筋トレとかが、本当に正座のできない人には、つらくてつらくてどうにも使えない、というものが散見されます。

基本的には、
① 足首の柔軟性(足の親指どうしを重ねるためと、跪坐のため)
② ふくらはぎの柔軟性(一番体重がかかるので、血行が悪くなるため)
③ 膝の前後の筋肉の柔軟性
④ 股関節の柔軟性
の4つが大事です。

特に、足首の回りには、小さい骨がたくさんあり、それのすべてに筋肉がついているので、あらゆる角度に動かして柔軟にしておかないとなりません。長く正座をして立つと、足首が固まってしまい、バランスがとれなくなり、コケることがありますので、柔軟性をつけましょう。一番簡単な方法は、手で足先をもって足首をよく回しておくだけでもOKです。

「正座すると膝が痛い」という自覚がありますが、膝というより、ふくらはぎとももの筋肉をつけて、柔らかくすると、膝の痛みは軽減します。

股関節は、正座には、あまり関係なさそうに感じてしまいがちですが、正座をすると、一番最初に血行不良を起こして、足に血が行かなくなり、しびれの原因を作ります。股関節を開くことは日常の生活では、あまりないので、重点的にする必要があります。柔軟にしておくと、血行が改善されて、正座を続けることができます。

自分なりに考えた筋トレでもOKですので、①~④に効きそうな運動を工夫してみてください。

正座に関するおすすめの動画
(2025.5.27 補)






今日の軸:「星河清涼風」