【関 南北東西活路通(かん なんぼくとうざいかつろにつうず)】
年末・年始や門出を祝うときなどによく使われる禅語です。
意味は、「難関を通過できれば、その先はどこへでも行ける道が広がっている。」
禅語は難しいですが、なんとなく雰囲気がわかればまずはOKです。
【もう少し詳しく解説】
鎌倉時代に大徳寺を開山した大燈国師が悟りを開いたときの境地を漢詩にしたものの一部です。その漢詩はこちら。
一回透得雲關了 南北東西活路通 夕處朝遊沒賓主 脚頭脚底起淸風
(意味 https://zenzine.jp/learn/zenpoetry/508/ 参照)
ひとたび雲門の関を通過し終わってみると、東西南北、あまねく自由自在の活路がゆきわたる。どこにいようとも、いつ何どきも、自分と相手の区別はなく、その足どりは徹頭徹尾、清風を巻き起こすのだ。
「関」という漢字は、もとは ( 門戸をとめる横木、貫木(かんのき)の意から ) 出入りを取りしまるための門のことですが、ここでは悟りに続く関所のことで、「活路」とは生きる道のこと。越えられないと思っていた難関を超えたとき(悟りを得たとき)、東西南北に道が開けるような本物の自由が待っていた、というような意味だそうです。(悟ってない凡人にはわからない境地?)
禅宗では、悟りを開くための修行として座禅と公案などがあります。この公案というのは、禅問答とも呼ばれ、師匠が弟子に与える問です。論理とか思考の枠を超えた直感的な悟りを得るための手段です。大燈国師にあたえられた公案「関」に対する回答が上の漢詩です。
この「関」という公案は「雲門の関」と呼ばれ、中国の仏教書『碧巌録』(公案を100集めたもの)にもあるものです。
【予告】
大徳寺と利休居士の関係も理解しておくことは大事なので、また、そのうちに。
(2024.12.19 談)