2025年3月26日水曜日

今日の軸:「喫茶去」

「喫茶去(きっさこ)」

「和敬清寂」(利休さまの説く茶道の極意)⇒「一期一会」(すべての出会いの極意)⇒「喫茶去」(おもてなしの極意)と続く、茶の湯の基本的な概念です。

「どうぞ、お茶でも召し上がってくださいな」という意味で、茶席で好まれる禅語です。

ただ、禅宗では「お茶を飲みに行け、お茶を飲んで目を覚まして来い」という叱責する言葉だそうで…
『趙州喫茶去の公案』としてなかなか意味深い解釈を求められているものです。
  ※趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)は唐代の禅僧

茶の湯初心者の私たちとしては、最終的にめざす境地として、「お茶でのおもてなしは、相手の地位や肩書にとらわれることなく、平等に接しなさい。」という心の在り方です。
亭主は『和敬』の心をもって「お茶を一服いかがですか」と言い、客のほうも変なことを言って辞退したり緊張していただいたりすることなく、『和敬』の心をもって素直に「いただきます。」とありがたくいただいて味わう…これがお茶の世界の醍醐味です。
注意!
「なんか図々しい人ね」と思われないように!!
それには…日頃が物をいいますね!!!

---------------------
【原典】『五灯会元、巻四、趙州従諗禅師』、『趙州録』、『碧巌録』
師問新到、曾到此間麼。(し しんとうに とう、かつて すかんに いたるや。)
曰、曾到。(いわく、かつて いたる。)
師曰、喫茶去。(し いわく、きっさこ。)
又問僧。(また そうに とう。)
僧曰、不曾到。(そう いわく、かつて いたらず。)
師曰、喫茶去。(し いわく、きっさこ。)
後院主問曰、爲甚麼曾到也云喫茶去、不曾到也云喫茶去。(のち、いんじゅ、とうて いわく、なんとしてか、かつて いたるにも また きっさこといい、かつて いたらざるにも また きっさこといいし。)
師召院主。(し、いんじゅ と めす。)
主應喏。(じゅ、おうだく す。)
師曰、喫茶去。(し いわく、きっさこ。)

※ 「到此間麼」は、物理的な意味のココではなく、精神的な意味でのココ(つまり悟りの境地)を意味していることに気づくとわかりやすい、という解説がありました。
う~~~ん!
たしかに、そう考えると『喫茶去』は院主を叱責している言葉であることも、理解できます。
禅語は、難しいですね。

今日のもう一つの言葉(?)『円相』については、いずれ!
(2025.3.25 談)




2025年3月10日月曜日

お濃茶は

  【お濃茶は】

『茶事』は、亭主が親しい人を招いて行われる茶会で、おもてなし文化の究極のものです。
茶室という特別な空間に入っていただき、炭手前をしてお湯を沸かし、お食事をしていただき、お菓子を召し上がっていただいたあと、おいしい一服の濃茶を差し上げる、その余韻を楽しんでいただくために薄茶を差し上げる、という一連の過程が進行します。(4時間くらいかかります。)その日の茶室の設え・道具の選択、懐石料理などは、この『おいしい一杯の濃茶を気持ちよく飲んでいただく』ためのものと言っても決して過言ではありません。
また、お茶事は、あくまで、正客がメインのお客であって、その日のテーマや設えは正客に向けてのもの、というのが基本です。

このお茶事というイベントの中心となる『お濃茶』ですが、市井のカフェ・喫茶店や公園や神社仏閣でのお呈茶(お茶をさしあげること)では、まず経験することができません。
それでも、都内では浅草などに数は少ないですが、濃茶が飲める茶房やカフェがあるらしいので、もし、見つけたら、入ってみるといいでしょう。そこでは、面倒な作法とかはなしに、お濃茶を楽しむことができるはずです。

濃茶を出すカフェが圧倒的に少ないのは、おいしく濃茶を練る(薄茶は点てるという)のに、結構な技術が必要なのが原因かと思います。使うお抹茶も違います。薄茶は一人前2g(茶杓1杓半)ですが、濃茶は一人分として4g(茶杓3杓)が基準です。使う茶筅も本来は違うのですが、最近はそこまで明確に分けて使う…機会(?)は少ないです?!

お菓子も違います。濃茶のほうは主菓子といいます。練り切り、こなし、饅頭というような種類のお菓子を”縁高(ふちだか)”という重ねられる箱に、一人前として一段に一種1個ずつを入れるのが本来の形です。「こんな大きな箱にお菓子ひとつとは、いくらなんてもおかしいんじゃないか」と思いたくなりますが、上のほうのお点前になると、お菓子は一人前として種類の違う物が3つとか5つとか出ます。そのためにはちょうどいい器の大きさなのでしょう。大寄せのお茶会などで、一人ひとつの場合、一段に同じお菓子を複数並べることもあります。いずれにしても、お作法がありますので、そのうち、しっかり体得しましょう。

一番大事なこと:
お濃茶をいただくとき、心得ておかないといけない一番大事なことは、一盌のお濃茶を客全員(高々5人まで)で少しずつ飲むことです。「おもあい(思相)でいただく」と言います。よく「濃茶は三口で飲む」と言われますが、そんな感じです。そのための作法もあり、これもそのうち、しっかり体得しましょう。
もし、体得しないうちに、大寄せのお茶会に行って、濃茶がでてしまったら…お隣の方のやりようを、しっかり真似をして、失礼にならないようにしてください。それも難しかったら「はじめてなので教えてください。」と素直に聞きましょう。お茶人は気配りできる人たちですから、教えてくださるはずです。

2025.3.7 談・補

2025年3月8日土曜日

今日の軸:「歳月不待人」

 「歳月不待人(さいげつ ひとを またず)」

12月や、年度の切れ目に床にかけられることが多い字句です。
学生でなくとも、師走ともなれば、あ~あ、今年ももう終わっちゃったなあ、という感慨とともにつぶやきたくなります。

一般的には、「歳月は待ってくれない。若いうちに勉学を励もう」「年月は人間の営みに関係なく、刻刻と過ぎてしまい、待ってはくれない。だから頑張ろう」「限られた時間を大切にしよう」というような、どちらかというと叱咤激励するような意味で使われます。

この字句を見て、同様な意味で「少年老い易く、学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」という字句を思い浮かべてしまう人も多いことと思います。

ただ、本歌『陶淵明:雜詩其一』にある意味はちょっと違っているようで…
ちゃんと調べてみると…あれれれれ?
マ、イイジャナイデスカ!これもまたこれで楽しいですネ。一理ありますから!

【参考】
陶淵明:「雜詩 其一」 
 人生無根蔕 じんせいは こんていなく
 飄如陌上塵 ひょうとして はくじょうの ちりのごとし
 分散逐風轉 ぶんさんし かぜをおって てんじ
 此已非常身 これ すでに つねのみに あらず
 落地為兄弟 ちにおちて けいていと なる
 何必骨肉親 なんぞ かならずしも こつにくの しんのみ ならん
 得歓當作楽 かんをえては まさに たのしみを なすべし
 斗酒聚比鄰 としゅ ひりんを あつむ
 盛年不重来 せいねん かさねて きたらず
 一日難再晨 いちじつ ふたたび あした なりがたし
 及時當勉励 ときにおよんで まさに べんれいすべし
 歳月不待人 さいげつは ひとを またず

朱熹(朱子):「偶成」(近年は、作者は別人との説あり)
 少年易老學難成 しょうねん おいやすく がく なりがたし
 一寸光陰不可輕 いっすんのこういん かろんずべからず
 未覺池塘春草夢 いまださめず ちとうしゅんそうのゆめ
 階前梧葉已秋聲 ごよう すでに しゅうせい
(2025.3.7 談・補)



2025年2月21日金曜日

焼物:「交趾焼」

 「交趾焼(こうちやき)」

華やかな色合いで細かい貫入の入る釉薬のかかった焼き物です。明代後期に中国で作られた三彩陶器です。

ベトナムのコーチシナ(交趾支那)との交趾貿易船でもたらされたことに由来する名前で、ベトナムの名前が使われていますが、実際の産地は中国福建省南部の漳州ということが最近分かったそうです。
日本では、江戸時代に京都から発展。京焼・清水焼を代表する技法としての交趾焼が有名になりました。茶の湯が江戸時代に入り、次第に華やかなものが好まれていった時代背景に合致したといえましょう。茶の湯はすべてわび茶、というわけではないこともなんとなく理解できますね。

成形された生地を素焼きまたは高温で焼き、次に交趾釉を施釉してから、低火度焼成して完成となるそうです。下絵で模様を作る技法として、 彫刻、盛り上げ、椎泥、イッチン、貼付け、線刻、泥化粧など。
黄交趾、紫交趾、緑交趾というように主に使われている色を付けて呼ばれます。

【言葉(参考)】
・椎泥:椎木(しいたき)の樹皮に含まれるタンニンを染料とする。
・一珍/一陳(イッチン):スポイト状の道具を使って盛り上げた線文や模様を描く。

(2025.2.20 補)


今日の軸:「冬嶺秀孤松」

 「冬嶺秀孤松(とうれい こしょう ひいず」

如月(2月)・大寒のときに利用されることが多い禅語です。

「ほとんどの樹木が葉を落としている冬の嶺(みね)で、独り青々と葉を残している松が際立っていること」という景色を表しています。
これを禅語として解釈すると、松を仏様の教えとし、どんなものにも惑わされず、煩わされないことを説いています。人の生き方でも、人の心を苦しめる煩悩や欲望に流されることなく、平然と堂々と凛として生きていきたいものです。
単なる景色を謳ったものとしてではなく、その中から人生の教訓を学び取る…なかなか難しいですね。

原典は、陶淵明(とうえんめい))『四時歌』から
 春水満四澤:春水(しゅんすい)四澤(したく)に満ち
 夏雲多奇峰:夏雲(かうん)奇峰(きほう)多し
 秋月揚明輝:秋月(しゅうげつ)明輝(めいき)を揚げ
 冬嶺秀孤松:冬嶺(とうれい)孤松(こしょう)秀(ひい)ず

春水満四澤は、春爛漫のときに使われることも多い禅語です。

余談です。マツ科の松はほとんどが常緑樹ですが、カラマツ(唐松、落葉松とも書く)は、珍しく葉を落とします。日本原産です。この詩にようにはいきませんが、黄色く紅葉し、芽吹きもとてもきれいです。「からまつの林を過ぎて、からまつをしみじみと見き。」で始まる北原白秋の詩は有名ですし、日本の風景画家として有名な東山魁夷は、落葉松を題材とした作品を数多く残しています。陶淵明が日本人だったら、この詩はどう変わったでしょうか…。

(2025.3.20 談・補)

2025年2月13日木曜日

水屋しごと~その1「茶碗の扱い ①」

  「茶碗の扱い ①」

1.使うときの準備
 茶碗に水やぬるま湯を入れ、茶碗の内と外をていねいに洗う。
 少し水を張った茶巾盥に入れ、上から柄杓でお湯をかけるのもよい。
 ただし、楽茶碗などは底の外側に水をつけすぎると欠けてしまうので、数秒でOK。
 乾いた布で押さえるようにして全体をゆっくり拭く。
2.片づけるとき
 茶碗に水を入れ、よごれているところを洗って、水を捨てる。
 普段でも、湯通し(お湯をいれて、すすぐ)し、乾いた布巾で丁寧に拭く。
 陰干ししてから、箱に入れる。(十分乾かさないとかびて、においがつく。)
 楽茶碗などは箱に入れるまで少なくとも2~3週間陰干し。
3.箱にしまうとき
 十分乾かしてからしまう。
 布や薄紙に包んで、箱に入れる。箱の中で茶碗が動かないように、隅に薄紙を
 まるめて入れたり、ながい短冊状に折って、二本をたすき掛けにして端に詰める。
 箱も風通しの良いところに置く。
4.箱の紐の結びかた
 先日の結び方は、「四方右掛け」。右上に四角を作る。「四方左掛け」もある。
 蓋に文字が書いてあると、それに合わせて右掛けになったり、左掛けになったりする。
 最後の蝶結びが縦結びにならないようにする。
(2025.2.6 談)
 

2025年2月10日月曜日

今日の軸:「和敬清寂」

 「和敬清寂(わけいせいじゃく)」

「和敬清寂」は、裏千家では、四規(しき)といい、茶道の根本精神を要約したものです。利休居士が提唱し、江戸時代前期から一般化されたと言われています。

『和』:茶道のすべての基本。茶会では主客双方で心を合わせて茶会を良いものにするためにまず「和」の心が必要です。
『敬』:お互いに尊敬しあうこと。客は亭主にへつらわず、亭主は客に奢らず。互いの思いやりを忘れないように。
『清』:きよらか。目に見える清らかさだけでなく、心の中も清らかであるように。
『寂』:何物にも流されず、どんなときにも動じない心。

・『清』は『静(しずか)』ではないことに注意してください。
・『寂』は、なかなか難しい概念です。『侘び寂び(わびさび)』の『寂』の字です。『わび茶』は、珠光~紹鴎~利休の流れで完成されました。その美意識の根底が『侘び』と『寂び』です。『侘び』は『わぶ』の名詞形で、本来は「気落ちする、心細く思う」というようなマイナスイメージの言葉でしたが、中世になると、不完全/不足の美しさを表現する言葉となります。また、『寂び』は「さぶ」という動詞の名詞形で「古くなる・色あせる」など、やはりマイナスイメージの言葉でしたが、古くなったものが枯れていき、その中に奥深いものや華麗なものが現れるという美意識を表すようになります。折しも中世の「人生の真実を表面的な美しさよりも内面的な充実に求める」という仏教思想に影響され、能、連歌や茶の湯にも精神性が求められていきました。このことから、『寂』は、表面的な美しさ・豊かさより心の美しさ・豊かさを目指す言葉、と解釈されています。
(2025.2.6 補)

茶の湯で使う扇子の意味