「喫茶去(きっさこ)」
亭主は『和敬』の心をもって「お茶を一服いかがですか」と言い、客のほうも変なことを言って辞退したり緊張していただいたりすることなく、『和敬』の心をもって素直に「いただきます。」とありがたくいただいて味わう…これがお茶の世界の醍醐味です。
う~~~ん!
たしかに、そう考えると『喫茶去』は院主を叱責している言葉であることも、理解できます。
禅語は、難しいですね。
『茶事』は、亭主が親しい人を招いて行われる茶会で、おもてなし文化の究極のものです。
茶室という特別な空間に入っていただき、炭手前をしてお湯を沸かし、お食事をしていただき、お菓子を召し上がっていただいたあと、おいしい一服の濃茶を差し上げる、その余韻を楽しんでいただくために薄茶を差し上げる、という一連の過程が進行します。(4時間くらいかかります。)その日の茶室の設え・道具の選択、懐石料理などは、この『おいしい一杯の濃茶を気持ちよく飲んでいただく』ためのものと言っても決して過言ではありません。
また、お茶事は、あくまで、正客がメインのお客であって、その日のテーマや設えは正客に向けてのもの、というのが基本です。
このお茶事というイベントの中心となる『お濃茶』ですが、市井のカフェ・喫茶店や公園や神社仏閣でのお呈茶(お茶をさしあげること)では、まず経験することができません。
それでも、都内では浅草などに数は少ないですが、濃茶が飲める茶房やカフェがあるらしいので、もし、見つけたら、入ってみるといいでしょう。そこでは、面倒な作法とかはなしに、お濃茶を楽しむことができるはずです。
濃茶を出すカフェが圧倒的に少ないのは、おいしく濃茶を練る(薄茶は点てるという)のに、結構な技術が必要なのが原因かと思います。使うお抹茶も違います。薄茶は一人前2g(茶杓1杓半)ですが、濃茶は一人分として4g(茶杓3杓)が基準です。使う茶筅も本来は違うのですが、最近はそこまで明確に分けて使う…機会(?)は少ないです?!
お菓子も違います。濃茶のほうは主菓子といいます。練り切り、こなし、饅頭というような種類のお菓子を”縁高(ふちだか)”という重ねられる箱に、一人前として一段に一種1個ずつを入れるのが本来の形です。「こんな大きな箱にお菓子ひとつとは、いくらなんてもおかしいんじゃないか」と思いたくなりますが、上のほうのお点前になると、お菓子は一人前として種類の違う物が3つとか5つとか出ます。そのためにはちょうどいい器の大きさなのでしょう。大寄せのお茶会などで、一人ひとつの場合、一段に同じお菓子を複数並べることもあります。いずれにしても、お作法がありますので、そのうち、しっかり体得しましょう。
一番大事なこと:
お濃茶をいただくとき、心得ておかないといけない一番大事なことは、一盌のお濃茶を客全員(高々5人まで)で少しずつ飲むことです。「おもあい(思相)でいただく」と言います。よく「濃茶は三口で飲む」と言われますが、そんな感じです。そのための作法もあり、これもそのうち、しっかり体得しましょう。
もし、体得しないうちに、大寄せのお茶会に行って、濃茶がでてしまったら…お隣の方のやりようを、しっかり真似をして、失礼にならないようにしてください。それも難しかったら「はじめてなので教えてください。」と素直に聞きましょう。お茶人は気配りできる人たちですから、教えてくださるはずです。
2025.3.7 談・補
華やかな色合いで細かい貫入の入る釉薬のかかった焼き物です。明代後期に中国で作られた三彩陶器です。
ベトナムのコーチシナ(交趾支那)との交趾貿易船でもたらされたことに由来する名前で、ベトナムの名前が使われていますが、実際の産地は中国福建省南部の漳州ということが最近分かったそうです。
日本では、江戸時代に京都から発展。京焼・清水焼を代表する技法としての交趾焼が有名になりました。茶の湯が江戸時代に入り、次第に華やかなものが好まれていった時代背景に合致したといえましょう。茶の湯はすべてわび茶、というわけではないこともなんとなく理解できますね。
成形された生地を素焼きまたは高温で焼き、次に交趾釉を施釉してから、低火度焼成して完成となるそうです。下絵で模様を作る技法として、 彫刻、盛り上げ、椎泥、イッチン、貼付け、線刻、泥化粧など。
黄交趾、紫交趾、緑交趾というように主に使われている色を付けて呼ばれます。
【言葉(参考)】
・椎泥:椎木(しいたき)の樹皮に含まれるタンニンを染料とする。
・一珍/一陳(イッチン):スポイト状の道具を使って盛り上げた線文や模様を描く。
如月(2月)・大寒のときに利用されることが多い禅語です。
「ほとんどの樹木が葉を落としている冬の嶺(みね)で、独り青々と葉を残している松が際立っていること」という景色を表しています。
これを禅語として解釈すると、松を仏様の教えとし、どんなものにも惑わされず、煩わされないことを説いています。人の生き方でも、人の心を苦しめる煩悩や欲望に流されることなく、平然と堂々と凛として生きていきたいものです。
単なる景色を謳ったものとしてではなく、その中から人生の教訓を学び取る…なかなか難しいですね。
原典は、陶淵明(とうえんめい))『四時歌』から
春水満四澤:春水(しゅんすい)四澤(したく)に満ち
夏雲多奇峰:夏雲(かうん)奇峰(きほう)多し
秋月揚明輝:秋月(しゅうげつ)明輝(めいき)を揚げ
冬嶺秀孤松:冬嶺(とうれい)孤松(こしょう)秀(ひい)ず
春水満四澤は、春爛漫のときに使われることも多い禅語です。
余談です。マツ科の松はほとんどが常緑樹ですが、カラマツ(唐松、落葉松とも書く)は、珍しく葉を落とします。日本原産です。この詩にようにはいきませんが、黄色く紅葉し、芽吹きもとてもきれいです。「からまつの林を過ぎて、からまつをしみじみと見き。」で始まる北原白秋の詩は有名ですし、日本の風景画家として有名な東山魁夷は、落葉松を題材とした作品を数多く残しています。陶淵明が日本人だったら、この詩はどう変わったでしょうか…。