2025年10月16日木曜日

はじめてのデモンストレーション④:お茶の飲み方

 

『外国人にお茶のデモンストレーションをする』~お茶の飲み方~


折角ですので、薄茶の飲み方を体験していただきましょう。

前提として
 ・茶の湯として飲むお茶には、二種類あり、これから飲んでいただくのは薄茶である。
 ・飲み方は、各お茶の流派で微妙に違うが、今回は、私たち裏千家流の飲み方である。
の2点は説明しましょう。

「飲むときは、三口半で」と言われますが、これは何口でもいいので、自由に飲んでいただきましょう。どうしても飲めない人もいますので、「苦手なら残して構いません」と気遣うことも忘れずに。(外国人に対してだけではありません。)「三口半」は決まりではありません。
また、「飲み終えたことを亭主に知らせるため、最後の一口は、ズズッーと音を立ててすすること」とかも言われますが、これもどうしてもしなければならない決まりではありません。
最後の一口まで戴くために、ススッというくらいの音を出しても仕方ない、くらいに考えてください。感性の問題ですが、静かな雰囲気の中で、ズズッーという爆音が響くのは、そぐわない、と思う人もたくさんいます。

飲む作法の中にも『和敬清寂』の『和』と『敬』の感性が備わっていることを説明出来るタイミングがあったら、してください。

茶碗の拝見時には、どんな道具も、亭主が心をこめて用意したものであるから、丁寧に扱うこと、特に手を滑らせて落としても大事にいたらないように、高々と掲げてみるようなことをしないこと。こういう扱い方も、『和敬清寂』の『和』の心、『敬』(道具に対して、また、亭主に対して)の心の現れであることも、言えるといいですが。

追加情報としては、
 ・薄茶はカジュアルな点て方で、浅草などの町中の抹茶カフェで、よく提供されるもの。
 ・もう一つは濃茶で、これを提供するカフェは極端に少ないこと。
 ・薄茶と濃茶の違いは、まず味が違う(一般には、薄茶のほうが苦い)、茶葉(ちゃば)を摘み取る時期が違う、作り方が違う、一人前の抹茶の量が違う、点て方も違う。
 ・濃茶は練って点てるが、薄茶のほうは泡立てる。
というようなことがありますが、聞かれたら答えるくらいでいいでしょう。
(2025.10.16 記)




はじめてのデモンストレーション③:お点前の説明のポイント

 

『外国人にお茶のデモンストレーションをする』~お点前の説明~


お点前は、大きく3つの部分に分かれます。
1.置き合わせと清め
2.お茶を点てて出す
3.片づけ

『清め』の部分は、茶道の根本精神を表す言葉『和敬清寂』の『清』の部分の一つの具現化です。
すでに、「水屋できれいにしてきたものを何故、わざわざお客の前でまたするのですか?」という疑問が湧いてきますが、これは、目に見えるものだけでなく、心の中を清らかにする儀式と考えると、わかりやすいかもしれません。仏教での法会だけでなく、キリスト教のミサなどでも、はじめに場を清める所作があると聞きますので、それと同等のものと考えると分かりやすいかもしれません。
いずれにしろ、道具だけでなく、お客様にお茶を差し上げる心も清める部分です。

道具の取り合わせは、季節のものとか、その日のテーマに応じたものとかあり、それもお茶の楽しみの一つ、という話も、楽しい話題です。
しかし、道具の説明は、簡単に。
張り切って歴史とか種類とかまで話すのは、茶会に2度以上来ている人向けです。
ただ、ちょっとおもしろい話は、いいかもしれません。
たとえば、茶筅はハチク(淡竹)という種類の竹が多く、穂先は、先を70~120本に割いてあるもの、とか、棗はもともと木地で、その上に”漆を塗って磨いて”というような24の工程がある、とかです。

所作や道具についての説明に、深入りすると禅の話とか、侘茶の話になったりします。
茶の湯は、精神的なこと、歴史的なことも含めて日本文化がつまっています。全体について知らないと茶の湯の心はなかなか理解できるものではありません。ですから、いい加減なことで話を濁さず、わからないことは「まだ勉強中なので、わかりません。」と言いましょう。
わからないことをわからない、と言う勇気を持つのは大事なことです。
(2025.10.16 記)

2025年9月10日水曜日

はじめてのデモンストレーション②:シチュエーション『茶室』

 『外国人にお茶のデモンストレーションをする』~シチュエーションの説明~

まずは、お客様をお招きするシチュエーションを紹介しましょう。

 本来は、というか、伝統的には 『茶室』 でのおもてなしになるのですが、茶の湯の基本を守れば、カジュアルに、現代の空間でおもてなしをするのは、大変良いことです。『茶の湯は~~がないとできない』というような堅苦しいものではなく、その気になれば、日常の空間でも、日常の道具でも見立ててできるものだ、ということを心に留めて説明しましょう。

 茶室へは露地と呼ばれるアプローチがありますが、目の前にない光景を説明しても、理解はできませんので、省略するのが得策です。

 お客様をお呼びする「茶会」は、お客様のことを考えたテーマを決め、それに沿って展開することが「おもてなし」の精神ですので、それも頭に入れて準備します。
 テーマを如実に表すには、禅語を軸か色紙などに書き付けたものを飾りますが、はじめてお茶会に参加する人が多い時は、あまり難しい禅語は使わず、『和敬清寂』とか『一期一会』というようなお茶の心を表すものを用意すると説明しやすいです。

 茶花も添えましょう。茶花は、一時(いっとき)の美です。「今日のお客様のためにだけ用意した」という気持ちを表しています。

香合は・・・実際に香を焚いてあれば、説明しやすいですが・・・校舎内は、火気厳禁でしょうから、電気で香を焚ける装置があれば可能ですが・・・

 茶室に入ったら、席に着く前に、何をしたらいいかを説明し、実際に実行していただきましょう。特に、軸に対しての所作の意味合いを説明するのは大事です。茶道具の拝見は、後で見ていただくほうが、道具に興味がわくでしょうから、お点前を見ていただくときは、その道具を手にとったときに、少しだけ説明するくらいに留めておくといいです。

また、正客の重要性も説明します。正客の席は、きちんと誘導しましょう。茶の湯は、正客と亭主のエンターテインメントです。
 茶の湯では、秩序が自然に発生する世界であることを雰囲気で分かってもらえるといいですね。

 (2025.9.6 記)

2025年9月9日火曜日

はじめてのデモンストレーション①:心構え

 『外国人にお茶のデモンストレーションをする』~心構え~


一番大事なことは、お点前の根底に流れている茶の湯の精神・茶の心を伝えることです。

  現在継承されている茶の湯は500年以上かけて成立してきたものです。
 その長い時間で積み上った伝統と文化、点前の変遷などいろいろな要素がありすぎるので、短い時間で茶の湯の全体を網羅的に説明するのは、あきらめましょう。

  現在の茶の湯の成立過程や、使われている道具の名前や背景などをきちんと説明しなくてはならないとなんとなく思いがちです。
 しかし、日本史をほとんど知らない人たちに、歴史の表舞台を下支えした茶の湯という文化を話しても、ほとんど分かってもらえません。また、茶の湯で使う道具は、現在では日常生活でほとんど使われないものです。ですから、名前を言われても、日本語を知っている人たちでも、覚えるのが一苦労ですから、ましてや日本語が母国語でない人たちには、ほとんど記憶に残りません。

お点前を見せながら説明する場合、目の前で流れていく“美しい”お点前の所作に見とれると、どうしても耳のほうは、おろそかになります。ですから、「見ていたい」という気持ちを大事にしてあげましょう。

のべつ幕無しに説明するのは、得策ではありません。『黙る』と『説明する』をうまいタイミングで、繰り返しましょう。

 さて、その上で、ある動作に垣間見られるお茶の心 『和敬清寂』 を説明するのが良いデモンストレーションと言えます。 

(2025.9.5 記)

2025年7月6日日曜日

今日の軸:「星河清涼風」

 「星河清涼風(せいが りょうふう きよし/せいか せいりょうのかぜ)」


七夕の時期によく使われます。
「星河」とは、天の川・銀河のことです。
「天の川を眺めていたら、涼風が吹いてきた。(身も心も清らかな気分になった。)」ということでしょう。

一応、禅語と言われますが、原典は見つかりませんでした。ただ、中国4000年の歴史ですから、どこかの書物にこの言葉があるのかもしれません。

茶の湯でのおもてなしは茶事に集約されます。
茶事とは、単にお茶を飲むだけでなく、亭主と客の心の交流を深めることを目的としています。ある一定の形式で進められるものです。儀式という人もいますが、宗教色があるわけでもなく、堅苦しいものでもありませんが、茶の湯の世界を知らないと、戸惑うことにはなるでしょう。
お客をもてなすための茶事では、テーマを決めて軸の言葉を選んだり、道具を取り揃えたりします。テーマとして、お正客の還暦をお祝いする茶事など、お呼びした正客絡みのものもありますが、気の置けない仲間を招待するときには、季節的なものや年中行事を選んだりもします。

七夕は、実は日本の伝統的な行事『五節句』の一つです。
五節句は、中国から伝わった風習をもとに、日本独自の文化と結びつき宮中の年中行事になり、庶民にも広がり発展してきました。
・人日(じんじつ)1月7日 七草の節句 七草粥を食べて無病息災を祈る
・上巳(じょうし)3月3日 桃の節句(ひな祭り) 女の子の成長と健康を願う
・端午(たんご) 5月5日 菖蒲の節句(こどもの日) 男の子の健やかな成長を祝う
・七夕(しちせき)7月7日 星祭り 織姫と彦星の伝説にちなみ、願いごとを書く
・重陽(ちょうよう)9月9日 菊の節句 長寿や厄除けを願う

それぞれ季節の節目として『節句』という言葉が用いられています。
かくして、恰好の茶事のテーマとして使われることも多いです。
で、いまの時期は、『七夕』というわけです。

五節句については、そのうち、解説しますね。

さて、たびたび「茶事」の言葉を聞くことも出てきました。なんなんだろう、経験してみたいなあ、と思い出していることと思います。(そうであってほしい…)
薄茶と濃茶の平点前ができるようになって、炭手前が理解できるようになったら…ね。
(2025.7.5 談)



2025年6月25日水曜日

今日の軸:「一以貫之」

 

「一以貫之(いちいかんし/いちをもってこれをつらぬく)」

小さい子が一生懸命引っ張ってるのに、少しも動こうとしない黒牛の絵とともに、この言葉が書かれています。これをみると、なんとなく意味がわかった気になりますね。

このように、絵が添えられているものを「賛(さん)/画賛」と言います。「賛」は「褒めたたえる」とか「助ける」という意味です。

原典は『論語』里仁(リジン)篇 (「里人」と書いてあるのもある)

子曰、参乎、吾道一以貫之。
曾子曰、唯。
子出。
門人問曰、何謂也。
曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣。

[読み下し文]
子し曰のたまわく、参しんや、吾わが道みちは一いつ以もって之これを貫つらぬく。
曽子そうし曰いわく、唯い。
子し出いず。
門人もんじん問とうて曰いわく、何なんの謂いいぞや。
曽子そうし曰いわく、夫子ふうしの道みちは、忠恕ちゅうじょのみ。

[意味]
孔子が言った、「参よ。私の人生は一つの使命で貫かれているのだ」と。
「はい、理解しております」と曽子(参のこと)は答えた。
孔子はその場を出て行った。
一緒にいたほかの門人が、「今の話はどういう意味ですか?」と聞いた。
曽子は、「先生の人生は忠恕の道で貫かれているのです」と答えた。

「忠」は真心(自分の良心に忠実であること)、「恕」は他人に対する思いやりを意味します。儒教では、この「忠恕」の精神が、「仁(最高の徳)」の根本であり、孔子の教えの中心的概念です。

禅僧が「自分は、自らの信じるところによって進んできた」ことを表明するときによく用いられるそうです。

私たち凡人には、忠=自分の良心に忠実であること、はそんなに難しいことではありませんが、恕=他人に対する思いやり、はなかなか難しいです。
「思いやりって本当は何?」と思ったこと、ありませんか?
公平であること?寛容であること?同情すること?心をシンクロすること?助けること?
新一万円札の渋沢栄一の著書「論語と算盤」の中には、「忠恕」の精神を重視し、実践したとあるそうです。

「自」(自分)に対しては、ぶれない心で、目的に向かって努力を続け、信念を貫き、「他」(外)に対しては、誠実さや思いやりを大切にすること…頑固とやさしさを合わせ持て、そんなことを言っている言葉ですね。
(2025.6.24 補)

「茶の湯」と「茶道」どう違う?

 「茶の湯」と「茶道」どう違う?

各種の生成AIにこの質問をすると、大体同じ答えが返ってきます。日本人の共通理解とみていいでしょう。
・茶の湯とは…抹茶を点てて楽しむこと、お茶会、おもてなしの行為。
       視点としては、文化的で、やや古風。
・茶道とは…(裏千家では『ちゃどう』と読みます。)
      お茶を点てる行為を通して、精神性を修養。
      礼儀作法を身につける『道』であって、体系化されたもの。哲学的。

「茶の湯とは、ただ湯を沸かし茶を点てて飲むばかりなる事と知るべし」
この言葉は、利休居士の言葉として伝えられていて、『利休道歌(利休百首)』の中におさめられています。
入門したての頃は、これを言われても、「それ以外に何があるのか」と思ってしまいます。
しかし、何年かお茶(茶の湯?茶道?)を続け、点前の所作や精神的修練を先生から教えていただくにつれ、本質が分からなくなってきます。そのとき、この言葉を聞くと、また違った感慨を持ちます。

さて、日本には『道』のつく文化体系が、いろいろあります。
剣道、柔道、弓道、合気道、空手道などの武道系のもの、茶道、華道、書道、香道などの文科系のもの、日本人以外でも注目されている武士道(何系というのでしょうか…)。
これらは主に、明治時代以降に体系化されたようです。

では、茶道という言葉はいつごろから、でてきたのでしょうか。
室町時代には、『茶の湯』の言葉が使われました。
15世紀以降、村田珠光、武野紹鴎、千利休という系統では茶の湯の精神性が深められ、わび茶が確立されました。その後、江戸時代初期に『道(どう)』の部分が重要視され始め、精神性を深めていき、概念として定着したのは、江戸時代中期以降というのが定説です。

千利休自身は、茶の湯を「数寄道(すきどう)」と呼び、古田織部は「茶湯」と呼び、小堀遠州が「茶の道」と「道」の字を使い始め、それが「茶道」という言葉につながっていったとも言われています。

「数寄」とは、本来「好き」のことです。
「歌」が文化の中心を占めていた平安時代には「数寄」は「歌道」を表していたのが、歌道が廃れるにつれ、「茶の数寄」を表すようになっていったという背景から、利休が茶事に使う座敷を数寄屋と名付け、数寄道に繋がっていったのかもしれません。

近代においては、数寄者(すきしゃ)は、茶の湯を趣味とする人を指します。
特に「名物(茶道具として特別な物)」に関心を寄せた人がたくさん出現します。財閥出身者や個人資産家が、日本国外に流出した美術品など買い取り、大規模な茶会を開催したりしました。現在、価値ある茶道具を所蔵する美術館がたくさんありますが、その貴重な品々を収集した人たち、益田鈍翁、原三渓、松永耳庵、根津青山(嘉一郎)、小林逸翁(一三)、高橋箒庵、畠山即翁(一清)、五島慶太、細川護立、大原孫三郎、川喜田半泥子、松下幸之助という方たちがいたからこそ、現代の我々は、古い時代からの貴重な茶道具を鑑賞できるのです。
(2025.6.25 閑話休題)


茶の湯で使う扇子の意味